BLACK DODO DOWN

HN:影月。「怪」のつくものを好み、特撮・ゲームを中心に、よしなしごとをそこはかとなく書き付くる。

地震予知について

 昨日のニュースですが、日本地震学会が今後「地震予知」という名称を使わないことを決めたようですね。

 一生懸命研究を行っている研究者の方々には申し訳ありませんが、私も地震予知というものは不可能なことではないかと思っています。これだけ科学が発達しても人類はいまだに明日の天気ひとつ間違いなく予想することもできていないわけですから、まして直接見ることもできない深い地の底で起こる出来事を予測するなど、絶望的に困難に思えます。

 それに、仮にできるようになったとしてもそれを役立てることができるのか?という疑問もあります。どれだけ研究が進んでも、100%の予知というのは絶対に実現しないでしょうから、仮に一週間後に東京に起きる大地震を80%の確率で予測することができるようになったとして、果たして一週間でどれだけのことができるのか。一週間で東京に住む全員を避難させ、もぬけの殻にできるのか。仮にそれができて人命に一切の被害が出なかったとしても、経済的には莫大な被害が出るでしょう。しかも、2割の確率でこの予測は外れるのです。もし大騒ぎの末に外れたとしたら、その責任をどうとらされるのか・・・そんなことを考えると、私だったら怖くてそんな予測は発表できそうにありません。結局地震は起きるし、その結果として被害が発生することは避けられないわけですから、予知はすっぱりとあきらめて、いかに被害を減らすか、いかに復興を行うかを地震が起きる前からみっちりと考えておく方が、よほど意味のあることに思えます。

 ただ、これはあくまで役に立つかどうか、という利益的な見方による意見であって、研究というものは必ずしも世の中の役に立つかどうかによって価値が決まるものではありません。たとえば、栗のイガがどうやって分化するかとか、世間一般の価値観では誰の得にもならないような研究は世界中で星の数ほど行われているわけですから、その意味でいえば地震予知の研究は今後も意義のあるものではあるのでしょう。