BLACK DODO DOWN

HN:影月。「怪」のつくものを好み、特撮・ゲームを中心に、よしなしごとをそこはかとなく書き付くる。

「誰にも必要とされなくたって、人間は生きていて構わない」に同意する。

 愛読している「脱社畜ブログ」様で数日前に書かれていた記事。

誰にも必要とされなくたって、人間は生きていて構わない - 脱社畜ブログ

 当たり前と言えば当たり前のことが書かれていますが、大事なことだなと読みながら深くうなずいていました。

 「行け!稲中卓球部」の何巻だったかは忘れましたが、前野・井沢・田中の3人が、タイムマシンで過去に行けたら何をするか?(それも過去への一方通行で戻れない前提)という話をしているところから始まる話がありました。田中が「独裁者になる前のヒトラーを保護する」というと、前野は「彼がやらなくても誰かが第二次世界大戦を起こしてしまう」とそれを否定。じゃあとさらに田中が「コロンブスアメリカ大陸を発見させません」と言うと、またも前野が「コロンブスが発見しなくてもいずれ誰かが発見してしまうでしょう」と否定。否定してばかりの前野に怒った田中と井沢が「じゃあお前は何をするっていうんだ」と詰め寄り、話はいつものように馬鹿らしいこと極まりない方向へと進んでいくのですが、当時はこれを読んで、「人間のやることに特定の誰かでなければできないというものはないんだ」と、妙なところで悟ったものです。

 上記の記事で言うように、誰にも必要とされなくてもそれを嘆く必要も恥じる必要もないでしょう。コロンブスアメリカ大陸を発見したのは、そのために必要なさまざまな条件を満たしたのがたまたま彼だっただけで、条件さえそろえば彼でなくてもそれを成し遂げることは可能だった。何かを成し遂げるというのは極論すればその程度のことですから、何もできなかったところで何も問題はありません。

 批判を承知で言うなら、全人類的な視点から見れば個々の人間は皆替えのきく歯車でしかありません。人間は自分がただの歯車だと思いたくないから、自分にしかできないことを求め、それを成し遂げようとするのでしょう。その結果として人間は成長し、その積み重ねで社会が発展するのですからそれ自体は素晴らしいことではありますが、それを誰もが強迫観念のように求められるというのは、やはり間違っているでしょう。人はナンバーワンどころか、特別なオンリーワンにすらなる必要はありません。