BLACK DODO DOWN

HN:影月。「怪」のつくものを好み、特撮・ゲームを中心に、よしなしごとをそこはかとなく書き付くる。

人生というゲームで納得いかないところ

人 生 というクソゲーの特徴を書いて消えろ BIPブログ

 以前読んだ「ニートの歩き方」で、著者のphaさんが「人生は初期設定によって難易度がイージーかベリーハードかが違いすぎるクソゲーなんじゃないの」と書いていたのを思い出しました。私などはいつもどこかしら生きづらさを感じながら生きているので、人生を楽しんでいるという人を見ると、よほど初期設定のパラメータが恵まれていたか、あるいはどんなに低いパラメータでのプレイも楽しんでしまう廃人プレイヤーなんじゃないかと思ってしまいます。

 生まれてくるときに親や国を選べないとか、能力や容姿を自由に設定できないというのは、まぁなんとか我慢できるのですが。我慢ならないのは、(この国の人間の人生に限定されますが)途中でルールというか勝利条件というか、それが変わるところ。学生までは極端な話いい成績をとっている奴が優れているというルールでやってきたのに、社会人になった途端、仕事ができる奴が優れているというルールに変わってしまうというのが、人生というゲームで一番納得がいかないところです。RPGで言えば、キャラの育成で魔法に力を入れて育成してきたのに、途中から魔法が通じない敵ばっかり出てくるようになるゲームのようなものではないでしょうか。いや、下手をするとRPGをプレイしていたはずが途中からシューティングになったとか、落ちゲーをプレイていたはずが途中から格ゲーになったとか、ゲームの種類が変わるようなものと同じかもしれません。これに関しては社会の問題であって、生まれつきの問題と違って修正可能な問題のはずですから、一日も早くデバッグすべきです。

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

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