BLACK DODO DOWN

HN:影月。「怪」のつくものを好み、特撮・ゲームを中心に、よしなしごとをそこはかとなく書き付くる。

NHKスペシャル 家で親を看取る その時あなたは

NHKスペシャル

 人間には自分で選べないことが二つあります。一つはどう生まれるか。もう一つは、どう死ぬか。

 高齢化が進む中、国によって打ち出された「看取りの場所」を「病院」から「在宅」へと転換する政策。自宅で親を看取ることになった人たちの苦悩を追ったドキュメンタリー。

 昔はほとんどの人が家で最期を迎えていたのが当たり前で、病院で息を引き取るのが当たり前になったのはたかだかこの数十年程度のことでしかないのですから、末期の場所を病院から自宅に戻そうということ自体は、人の死をより自然なものに近づけるものとして、私も賛成です。思うに、現代の社会は死というものを生活から遠ざけすぎたのではないでしょうか。私自身、大学生の時に祖母の臨終に立ち会うまで、人の死というものを自分の目で見ることはありませんでした。一つの文章がピリオドによって終わるのと同じように、死によって人の生涯が終わる以上、死もまた生の一部である。人の死を見るのは辛いことですが、それによっていずれ自分や周りの人にも必ず訪れる死を思い、限りある生きている時間を大事にできるようになれるのならば、それも必要な経験であると思います。

 番組を見ていて思ったのは、人の死というものは死ぬ本人よりもむしろ、それを見送る人たちの方にとって大きな問題なのではないか、ということでした。両親を続けて看取ることになった女性は、それまでの日々を振り返って、「両親をちゃんと見送ることができた充実感はあるけれど、本当にこれで良かったのかな、という思いもある」と語りました。私の目から見ても彼女は精一杯頑張っていましたし、父親が最後に「ありがとう」と言ってくれたおかげで、とても救われていました。そんな彼女でも、「本当にこれでよかったのか」と思ってしまう。どれだけ手を尽くして親を見送ることができたとしても、もっと何かできたんじゃないかという思いはつきまとってしまうものなのでしょう。見送る側が全く後悔のない「看取り」を実現することは難しいかもしれませんが、少なくともやれるだけのことはやった、と見送る側が思えるだけのケアを行うためのサポートは必要であり、そのためにも番組で描かれていたように、親を看取る家族がその最期の時までを安心して見守るための在宅医療の整備が不可欠だと思います。