BLACK DODO DOWN

HN:影月。「怪」のつくものを好み、特撮・ゲームを中心に、よしなしごとをそこはかとなく書き付くる。

山の霊異記 ヒュッテは夜嗤う

 「山の怪談」を専門とする怪談作家・安曇潤平氏の「山の霊異記」シリーズ3冊目。他の実話怪談集にはない、山行の過程を丁寧に描き、美しく雄大な山の情景を想像させてくれる文章の魅力にますます磨きがかかっています。

 収録作品の中で最も怖かったのは、一番最初に収録されている「五号室」。怪異自体は既に終わっていて、いったい何が起こったのか誰にもわからないということそのものが怖い。ホラー映画では怪物や殺人鬼はギリギリまで姿を現さないことが恐怖を高める方法だといいますが、その理屈でいけば、最後まで恐怖の正体が姿を現さなくとも成立する作品が最高のホラー映画ということになるのかもしれません。もちろん映画でそれを成立させるのは難しいでしょうけれど、この作品ではそれが見事に成立しているのではと思います。何が起こったのかわからないのが怖いという点では「豹変の山」も非常に怖い作品。こちらは心霊がかかわったかどうかすら定かではありません。

 一方、思わず心が温まるような怪談が多いことも今回の作品集の特徴の一つ。亡くなった友人の遺品のツェルト(簡易式テント)にまつわる話「ツェルト」、母親と小さな女の子の登山者を呼ぶ声の正体「呼ぶ声」、有名な登山家の終焉の地となった山で出会った老人にまつわる「終焉の地」などなど。序文において安曇氏は春夏秋冬、さらにはその日その日や同じ日の朝と昼と夕方でさえ全く違う顔を見せる山という舞台だからこそ物語は尽きないと語っていますが、この話のバリエーションの多さもまた、山という世界の懐の深さを物語っているように思えます。