BLACK DODO DOWN

HN:影月。「怪」のつくものを好み、特撮・ゲームを中心に、よしなしごとをそこはかとなく書き付くる。

GODZILLA 感想

映画『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』公式サイト

 待ちかねていたゴジラの日本での公開の日がようやくやってまいりました。例によってネタバレを含む感想となりますので、未見の方はご注意ください。

ゴジラ
 10年の時を経て海を越えた地で復活を遂げた我らの怪獣王。時に核や戦争の権化として、時に正義の味方として、移り変わる時代によって様々な姿を見せてきたゴジラですが、今回の映画での彼は「荒ぶる大自然」そのもの。特筆すべきは人類に対する徹底した無関心さ。これまでのゴジラと言えば、攻撃してくる人類の兵器に対しては徹底的に破壊し、時には破壊そのものを目的として都市を破壊するほど人類に対する敵意をむき出しにしていましたが、今回のゴジラは銃や大砲で撃たれても蚊に刺された程度の反応で反撃すらせず、監視の軍艦がすぐそばを航行していても全くの知らん顔で悠々と泳ぎ続ける・・・といった具合に、全く関心を見せません。街を破壊するのもゴジラ当人にとっては、ただ進路上に邪魔なものがあるので壊しながら進んでいる、というだけ。それでも海から上陸するだけで津波が起こり、その進む先にあるものは一切合財蹂躙される。その姿は「カトリーナ」に代表されるアメリカを襲ってきたハリケーンを思わせるもので、まさに大自然の暴威を具現化したかのようです。この人類に対する徹底した無関心と荒ぶる大自然の象徴という側面は、これまでのゴジラには描かれなかったものであり、新たなゴジラ像として非常に新鮮なものとして映りました。芹沢博士は後述するムートーの出現に対して「自然の調和を取り戻す」役割を担っているのではないかと語っていましたが、その言葉通りどちらかというとゴジラというよりは平成ガメラに近い印象を受けます。一方、従来とは異なり今回のゴジラは核実験で爬虫類が突然変異したものではなく、最初からああいう生き物として古代の地球に生息していたという設定なので、核の恐怖の象徴としての側面はほぼ皆無。あんな生き物がかつて地球を闊歩していたというのは、ある意味では日本以上にとんでもない設定ですが・・・。
 一方、見るからに強そうな外見に反して、ムートーに対しては結構苦戦している印象を受けました。ムートーを倒した後もバッタリとその場に倒れてしまい、しばらく眠った後目覚めて海に帰っていきましたが、敵の怪獣を倒した後そのまま悠々と海に帰っていった日本のゴジラとは、ここでも対照的な印象を受けます。一方、放射熱線に関しては2000年代のゴジラ以上に「伝家の宝刀」として扱われており、エネルギーチャージを表示するゲージのように背びれが尻尾の先から順番に発光していく様はかっこよかったです。熱線そのものも、命中しても爆発するのではなく、まさに「焼き殺す」という感じのもの。ムートーへのトドメも、無理やり口をこじ開けてその中に直に熱線を吐くという、ビオゴジやミレニアムゴジをさらにアグレッシブにしたようなものになっていました。

◆ムートー
 今回の敵怪獣。外見は一言で言えば、「ゴジラ2000ミレニアム」のオルガを細身にして虫っぽくした感じ。雌雄2体が登場し、小型で飛行能力をもつオスと、四足歩行でのし歩くオスの数倍の体格のあるメス・・・とだけ書くと、まるっきりモンハンのアルセルタスゲネル・セルタス。逆三角形の頭がギャオスっぽく、特にオスの飛ぶ姿はほぼギャオス。ゴジラ同様放射線をエネルギーとしており、原発、原潜、核ミサイルなど、人間が保有する核を戸棚に隠したおやつを見付ける子ども並みの目ざとさで探し出しては貪り食う。強力な電磁パルスを放射して広範囲の電子機器を無力化する能力は、人類にとってはまさに脅威。大量の卵を産んで子孫を増やそうとするところは、やはりギャオスやレギオンのような平成ガメラの敵怪獣を彷彿とさせますね。そもそも人類に対して関心のないゴジラに対して、ムートーは核を奪うために積極的に人類に攻撃を仕掛けてくるので、従来の怪獣映画のような怪獣らしい怪獣としての役割はムートーが担っています。
 光線や火炎の類の飛び道具は一切なく、先述の電磁パルスもゴジラに対しては無意味なので、肉弾戦で戦うしかないという怪獣としては地味な部類。しかしその印象に反して、2体の連携のとれた攻撃で結構ゴジラを苦しめます。卵を爆破されて怒り狂い、爆破した主人公を追いかけてくるのは、エメリッヒ版のオマージュと言えないこともない・・・か?

◆人類
 というかアメリカ人。怪獣映画における人類と言えば基本的に無力な存在ですが、今回はゴジラとムートーの抹殺を図ろうとするも、結局この両者は人類がどうこうできるものではなかったという、輪をかけて無力な存在です。怪獣や宇宙人が攻めてきたら、とにかく核でなんとかしようというハリウッド映画における米軍の方針は今回も変わらず。サンフランシスコ沖に核ミサイルを搭載した船を流してゴジラとムートーをおびき出し、爆破するという作戦を目論むも、肝心のミサイルを輸送中にムートーに奪われ、巣に運び込んだミサイルの起爆を止めるために決死隊を送り込む羽目になるという体たらく。結局、余計な手出しはせずにゴジラに任せておけと作戦に反対した芹沢博士の言うとおり、ムートーはゴジラによって倒され、ゴジラは終始人間を相手にせず海へ帰り、ひとまず危機は去ることに。ゴジラから核の脅威という記号が取り去られた代わりに、安易に核を使用して自らの首を絞める人間が、その役割を担うことになったと言えるかもしれません。

◆良いところ・物足りないところ
 映像の迫力に関しては「パシフィック・リム」と同じく、ハリウッドに本気を出して怪獣映画を作らせたらやっぱり日本には太刀打ちできないと思わせるもの。ただ物足りないのは、意図的なのかそうでないのかは不明なものの、怪獣映画ならば間違いなく見せ場とされる場面がなぜかカットされているところ。たとえば、ハワイでゴジラとムートー(雄)が初めて接触するシーン。夜のホノルル空港で初めて相対するゴジラとムートー。映画が始まって初めてゴジラの全身像がスクリーンに映し出され、咆哮を上げる。さぁ、バトルの始まりだ!と、怪獣ファンなら誰もが胸を高鳴らせるところですが、次のカットでは場面が空母のブリッジに移り、モニターには逃げたムートーを追って東へと泳ぐゴジラの姿が。また、ネバダの核廃棄物処理場で目覚めたムートー(雌)がラスベガスを襲うシーン。突如カジノが停電になった次の瞬間、ムートーの脚が屋根を突き破って現れる。さぁ、怪獣が街を破壊するぞ!と怪獣ファンなら誰もが胸を躍らせるシーンですが、次のカットでは既にムートーはラスベガスを通過した後・・・。こんな具合に、中盤のハワイと終盤のサンフランシスコを除いては、怪獣映画の見せ場である怪獣バトルや都市破壊シーンがなぜかすっ飛ばされていて、そこに関しては物足りなさを感じました。
 とはいえ、ゴジラ映画としては間違いなく太鼓判を押せる作品。これなら「やっぱりマグロ食ってるような奴はダメだ」と後でディスられる心配もないでしょう。反核のメッセージも、ゴジラ自身の代わりに愚かな人類(というより米軍)の姿を通してしっかりと描かれています。なにより、自然を「征服するもの」として発展してきた西洋文明、その中でも最たる国であるアメリカにおいて作られたこの映画で、「自然とは人間が支配できるようなものではない」というメッセージが謳われたことに大きな意義を感じます。そして古来、自然を神として崇め、共存の道を歩んできた日本において生まれたゴジラがそのメッセージを担っていることには、日本人として胸を張ってもよいのではないでしょうか。