BLACK DODO DOWN

HN:影月。「怪」のつくものを好み、特撮・ゲームを中心に、よしなしごとをそこはかとなく書き付くる。

仮面ライダーゼロワン 第6話感想

 声優型ヒューマギアを今は亡き自分の娘そっくりに作ってしまった父親の物語。あれだけ人間そっくりのロボットが作れるのならそりゃあそういうことをする人も出てくるだろうな、というところまでは誰でもすぐに想像がつきますが、そうした行為を取り締まる法律まで既に制定されているとは、さすがにそのへんは先取りしてきますね。ただ、「世の中には自分と同じ顔の人間が3人いる」とよく言われるように、人間の顔なんてものは案外パターンが少ないものですから、無作為に顔を作ったつもりでも結果としてどこかの誰かそっくりの顔になってしまう、ということもままあると思われますが、そういう場合はどうなるんでしょうね。また、そういう法律があるとなると、ますます気になるのは或人の「父」である其雄の存在。ヒューマギアである彼が或人の本当の父親であるはずがない(或人が実はヒューマギアだったとかだったら話は別ですが)ので、彼は或人の実の父親を模して作られたと考えるのが今のところ妥当かと思いますが、それは法律違反を承知でまでそうしたのか…。

 

 もう一つクローズアップされたのは、滅亡迅雷.netの迅の人となり。滅の命令通りにヒューマギアを暴走させてきたこれまでの姿からは、ただひたすらヤバい奴という印象しか受けませんでしたが、前回滅から言われた「俺はお前の息子だ」という言葉と、ヒューマギアを娘と呼び守ろうとする父親の行動、そして「子供を守ろうとするのは親として当たり前のこと」という或人の言葉にショックを受けて激しい動揺を見せる姿には、思っていたよりもずっと幼い、何も知らない子供なんだな、と理解しました。初めて滅の言うことに逆らう行動をとりつつも、滅にドライバーを装着され、仮面ライダー迅へと変身させられる迅。劇中ではっきりと説明はされていませんが、どうやらこれによって迅に芽生えた自我までも初期化されてしまうようですね。「子供は親の言うことだけ聞いていればいい」と言い放ち、迅が自分の意に沿わぬ成長をすればたちまちそれをなかったことにする滅。まさに毒親というほかありませんが、いちいち自我をリセットしてまで自分の言いなりになる手駒であることにこだわるなら、最初から自我を持つ余地などない、ただ命令を聞くだけのロボットとして作ればいいじゃないか、という疑問が当然沸いてきます。そうしないのは、シンギュラリティに達したヒューマギアを狙うのと同じように、迅にも自我に目覚めてもらわなければならない(当然、その自我は滅にとって都合のいいものでなければならない)なんらかの理由があると考えられますが、果たしてその理由とは…。