BLACK DODO DOWN

HN:影月。「怪」のつくものを好み、特撮・ゲームを中心に、よしなしごとをそこはかとなく書き付くる。

SSSS.DYNAZENON 第12話 感想

  カイゼルグリッドナイトと最強怪獣ガギュラ、ガウマ隊と怪獣優生思想の最終決戦。互いに感情を全開にして思い切り殴り合う、これぞまさにTRIGGER製アニメの最終回というべきバトルでした。以前蓬が見せていた、怪獣を操る能力ある?というフラグをきっちり生かして逆転のきっかけを作り、グリッドナイト+ゴルドバーンonダイナレックスというグレート合体とはまた違うこれまた間違いのない合体でトドメ。いろいろ変則的なアニメでしたけど、バトルに関しては最初から最後まで王道を貫きましたね。そして激闘の末、命を燃やし尽くしたかのようにガウマは…。

 

 それから3ヶ月後。ゴルドバーンや機能を停止したダイナゼノンとともに元の世界に戻るナイトと二代目を見送るため、久しぶりに集まったガウマ隊。暦が別人みたいな見た目になっててナイトと同じく「誰だ?」って反応になりましたけど、形はどうあれめでたく社会復帰できて何より。ちせの方は察するに結局学校には戻っていないようですが、まぁそういう「正しい社会」に乗るか乗らないか、彼女にはまだそれを決めるまでの時間はあるでしょう。ガウマ隊の仲間やゴルドバーンと出会った今の彼女なら、きっとこの先も大丈夫でしょう。

 

 そして、蓬たちの通う学校の学園祭。クラスの出し物の手伝いをさぼる夢芽を探しに来た蓬は、差し出された彼女の手を見て、(おそらくはガギュラを操った時に交わした)シズムとの最後の会話を思い出す。シズムは「怪獣は何よりも自由であるべき」と口にしていましたが、理から外れ、何物にも縛られず、全てを自由にできる「無上の自由」、それが彼にとっての「怪獣」だったのですね。怪獣優生思想という集団は、その無上の自由を体現する怪獣を信奉するがゆえに、自分自身を縛る不自由な人間を殺戮する存在になった、ということでしょうか。ですが、当然疑問が起こります。そんな在り方は本当にそんなに素晴らしいものなのか、と。生死も含めたあらゆる束縛から解放された者は、無限にある選択肢の中から自らの行動を決めていくことを、無限に繰り返していくしかない。何をするのも自由ということは、何をするのも自分で決めるしかないということ。そして自分で決めたことである以上、どんな結果になろうとも、その結果を他人のせいにすることはできない。言い換えればそれは、絶対の孤独。「自由とは不自由である」とよく言われるのは、そういうことなのです。そんな無上の自由に身を置いていられるのは、全てにおいて完璧な人間か、そうでなければどこまでも身勝手に振舞える自分勝手の極致のような人間でしょう。私には怪獣優生思想の連中が、そんな大層なものには思えないのですが。

 

 そんな無上の自由を謳い、人間を無自覚に自由を失い自分自身を縛っていくものと嘯くシズムに対して、「俺は自由を失うんじゃないよ。かけがえのない不自由をこれから手に入れていくんだ」と伝える蓬。この蓬の言葉がすっと胸に入ったというか、この一言にこれまでの物語が全て結集されているように思えましたね。最初はみんなバラバラで、ままならない現実に対してそれぞれに悩みを抱えていたガウマ隊の面々。最初はそういう若者たちが主人公であることに戸惑いを感じていましたが、戦いを通じて他者と心を通わせることを覚えていき、最後にはそのままならない不自由さを「かけがえのないもの」として受け入れることができた彼らだからこそ、無上の自由を騙る怪獣優生思想と戦う者足りえたのであり、ダイナゼノンに彼らが選ばれたのは必然だったのだということを、蓬の言葉で納得できました。全てとの関係を断ち切り永遠の孤独を歩む代わりに無上の自由を手に入れるか、煩わしくままならないが他者との交わりの中で喜びも悲しみも享受できるかけがえのない不自由を手に入れるか。どちらをとるかは人それぞれで、両者が相容れないのは当然のことですが、一緒にファインダーに収まる蓬と夢芽の屈託のない笑顔は、まぎれもなくガウマが守るに値したものだと思います。

 

 いろいろな作品を見てきましたが、ここまで最終回でそれまでのすべてがスッと腑に落ちるという経験は、なかなかあるものじゃありません。終わってみれば、SSSS.GRIDMANとは全く違う作品になっており、感服いたしました。そしてラストにはまさかの「GRIDMAN × DYNAZENON」の文字が。これってもしかして3部作だったのか…と驚きつつも、今から楽しみでなりません。