BLACK DODO DOWN

HN:影月。「怪」のつくものを好み、特撮・ゲームを中心に、よしなしごとをそこはかとなく書き付くる。

NHKスペシャル「終の住処はどこに 老人漂流社会」を見て

NHKスペシャル

 見ようと思っていたわけではありませんが、結局最後まで目を離すことはできませんでした。

 最初に紹介された88歳の男性は1ヶ月未満のショートステイを繰り返し、3ヶ月間で4つの施設を転々とする生活を送っていた。ようやく長期で入所できる施設が見つかったが、年金だけでは月々の費用が払えず、生活保護をもらって不足分に充てることに。そのためには長年住んだ都営住宅の部屋を引き払わねばならず、施設には最低限の持ち物しか持ち込めないため、男性の手元には亡くなった奥さんの遺骨と奥さんからもらった腕時計、湯のみしか残らなかった。

 漂流する老人たちの現実の厳しさは、自分にとってはまだまだ先のことだなどと考えることはできませんでした。最初の男性は80歳近くまで運送業を営み、6年前に亡くなった奥さんと40年以上、都内の都営住宅で暮らしていたといいます。ひたすら真面目に、つましい暮らしを送ってきたのでしょう。そうして何の落ち度もなくまじめに働いて生きてきた人でさえ終の棲家さえ見つけられないような老後を送っているのだとしたら、安心できる老後を手に入れるには一体どうすればいいのか。結局老人になった時に持っているお金の多寡が安心できる老後を手に入れられるかどうかを決めてしまうのだとするなら、我々はどれだけ働いてどれだけお金を貯めなければならないのか。そんなことを考えて、暗澹たる気持ちになりました。

 もちろん、誰にとっても老後のことを考え、働いてお金を貯めることは大事なことです。しかし、そのために歳をとるまでの時間の大半を老後のためのお金を稼ぐことに費やさなければならないのだとしたら・・・。「安心して死ぬこと」。それは理想ではありますが、人生の目的であってよいのでしょうか。何よりそれは、「人生」と呼べるのでしょうか。