BLACK DODO DOWN

HN:影月。「怪」のつくものを好み、特撮・ゲームを中心に、よしなしごとをそこはかとなく書き付くる。

ひとり百物語 怪談実話集 悪夢の連鎖

 立原透耶さんの「ひとり百物語」シリーズ、第4弾。例のごとく図書館で借りました。

 表題の通り、立原さんが自ら経験したり知人から聞いたりした話を百編集めたのがこのシリーズ。ただし、よくある怪談実話集のように怖い話がぎっちり詰まっていることを期待すると肩すかしをくらいます。もちろんそういう話もたくさん載っていますが、むしろただ不思議な話とか、霊は絡むけれど心温まる話とか、そういう話の方が多いのが「ひとり百物語」シリーズの特徴のように思えます。知人が飼っていたプレーリードッグが、亡くなった後気配だけで帰ってきた話とか。

 怖い方の話としては、立原さん本人や知人が生霊の被害を被った、というような話が多いですね。立原さんのように些細なことで人から恨まれたりするたびに(逆恨みであっても)こんな目に遭ってばかりいたら、私などは身がもちません。ただ、そうした生霊に悩まされたり悪いモノを視たりといった経験も、あたかも外で雨に降られたとかタンスの角に足をぶつけたとか、そんな感じの肩肘の張らない調子で、日常の中の出来事として綴っているのが特色です。何より、あとがきに書かれた次の一文が、怪異というものに対する立原さんのとらえ方を如実に表しています。

怪談実話は怖くなくてはならない、とよく言われます。けれども私はそうは思っていません。
日常のささやかな不思議な出来事、悲しくも切ない思いの出現、そんなものも怪談の一つはないでしょうか?

 怪談を愛する者が怪談に求めるものは何より背筋も凍る怖さであることは間違いありませんが、時にはそうではない怪談を味わってみるのも、必要なことでしょう。

 ちなみにこの本で私が一番怖かったのは、24話目の「地震博物館」。立原さんが中国は四川の大地震跡博物館見学ツアーに参加した時、倒壊したままの建物を見学していたら、全身に痛みや重さを感じたり、建物を撮ったデジカメのデータが消せなかったり・・・という話。この建物、掘り起こすと建物が崩れるのでいまだ多くの遺体が埋まったままになっていたのです。もちろん私が怖いと思ったのは怪奇現象の方ではなく、遺体が埋まったままの建物を博物館と称して金をとって見世物にする、罰当たりにもほどがあることを平然とやってのけるその神経の方ですが。