BLACK DODO DOWN

HN:影月。「怪」のつくものを好み、特撮・ゲームを中心に、よしなしごとをそこはかとなく書き付くる。

もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら

もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら (幽ブックス)

もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら (幽ブックス)

 なぜ人は怪談という話を語ったり聞きたがったりするのか。最も単純な理由はやはり、語る側にとっては怖がってもらうためでしょうし、聞く側にとっては怖がりたいからに他ならないわけで、それゆえに怪談を語る人は聞く人を怖がらせるために様々な技巧を尽くします。とはいっても、あまりあからさまに怖がらせようと話を膨らませたりするとかえって興ざめになってしまうので、いかに虚実をないまぜにして語るかが、怪談を語る人にとっての腕の見せ所なのですが。

 一方この本に関して言えば、そういう「怖がらせてやろう」という意思は全く文面からは感じられません。タイトルが示している通り、ノンフィクション作家である筆者がこれまでの人生の中で経験した怪異について、余計な尾ひれは一切付けずにただ淡々と書き記した、まさにそういう本です。語られる怪異の内容も、たとえばキッチンの床の上を女が転がりまわっていたとか、バスルームに入ったら浴槽の中に見知らぬ爺さんが膝を抱えていたとか、そういうビジュアル的な派手さのあるものはありません。

 むしろ驚かされるのは、怪異とともに語られる著者の数奇な人生の方。底意地の悪い祖母との確執、三度の結婚、酒で睡眠薬をあおりながら眠っていた日々・・・そりゃあこんな人生を送ってきたら、いちいち怪異に遭遇したぐらいで大騒ぎはしないだろうなとうなずけてしまいます。霊だって昔は生きていたのだから人として敬意を払ってもよいはずだ、という理由で人と霊をあんまり区別したくない、という一文からも、筆者の懐の深さがうかがえます。まぁ私の場合、生と死、この世とあの世との間には入り混じってはならないはっきりとした一線があるべきだという考えなので、筆者とは逆に人と霊は明確に区別したいのですが。

 基本的にはそれほど怖くない話ばかりなのですが、かつて川端康成邸を訪れたときに川端夫人から聞かされた、割腹自殺後に訪ねてきた三島由紀夫の霊の話は怖いですね。淡々とした記述がいろいろなことを想像させて、逆に怖い。