BLACK DODO DOWN

HN:影月。「怪」のつくものを好み、特撮・ゲームを中心に、よしなしごとをそこはかとなく書き付くる。

残穢

残穢

残穢

 以前紹介した「鬼談百景」と同時発売された小野不由美氏の著作。図書館で予約したのが8月だったので、読むまでにかれこれ4ヶ月もかかってしまいました・・・。

 「鬼談百景」が短い実話怪談を集めた百物語形式の怪談集だったのに対し、こちらは一冊で一つの話となっております。怪談ではありますが、内容的にはむしろノンフィクション。人気の怪談作家、怪異蒐集家である平山夢明氏、福澤徹三氏が作中に登場するのも、そういった印象を強めています。この作品をノンフィクションととるか、ノンフィクションの体をとったフィクションととるか、怪談好きにとってはそれは何の意味もありませんが。

 発端は、かつての著作のあとがきで読者の奇妙な体験談を募っていた「私」のもとに届いた一通の手紙。首都近郊のマンションに住む「久保さん」からの手紙で、内容は、夜に和室の畳の上をさっと何かが擦るような音がする、というもの。やがて、それまで音だけだったのが、久保さんは上から垂れた着物の帯のようなものが揺れて畳の表面を擦っているのを目撃する。もしや、天井から着物姿の女が首を吊ってぶら下がっているのではないか・・・。「私」と久保さんはその原因となった何かが過去にあったかどうかを探るためマンションや周辺の住民へと聞き込みを開始するが、その過程でマンションだけでなくマンションのたつ地域のあちこちで起こった不審な出来事と、それらと因縁のありそうな過去の出来事が次々に明らかになっていく。やがて調査はその土地を離れ、はるか遠く北九州の地まで及ぶことに・・・。

 作中では調査が進むにつれて問題のマンション一帯の土地で起こった怪談めいた話が次々に明らかになっていきますが、そのどれもが怪談としてさほどインパクトがあるわけでもなく、「気のせい」と片付けてしまっても全く問題のないようなものばかり。それらの怪異と因縁の有りそうな過去の陰惨な事件も次々に明らかになっていきますが、怪異と事件のつながりも「偶然」と言ってしまえばそれまで。調査を進める「私」や久保さんのところに、テレビから髪の長い女が這い出てくる、というようなこともなく、せいぜい(?)原因不明の体調不良に見舞われる程度。全体を構成する要素一つ一つは、怪談を愛好する者にとってはさほど恐ろしいものではありません。

 本当に恐ろしいのは、怪異を追ううちにまた新たな怪異が姿を現していくこと、また、ある怪異の原因を追ってたどり着いた事件が、全く別の怪異とも因縁で結びついているらしいことが明らかになっていくその経過。細菌の分裂を顕微鏡でのぞいたときのような怪異の連鎖こそが、この作品の恐ろしさです。次々と連鎖していく怪異について、「私」は推測する。これは呪いでも祟りでもなく、古来から日本人が触れることを忌むべきとしてきた「穢れ」であると。「穢れ」は病のようにそれに触れたものへと感染し、時に遠く離れた地においてさえ怪異として発現する。そうして怪異はどんどん広がっていく。怪異の根源を追い続けた「私」と久保さんは、最終的にある家にまでたどり着きますが、そこに至って自分たちが追ってきた数々の怪異は、この家を幹として四方八方に伸びた枝葉の一つにすぎないことを理解し、愕然となる。だとすればこの日本には、もはや「穢れ」に感染していない場所など、どこにもないのではないか・・・。一方、病気と同じように「穢れ」は感染した人や土地すべてに発現するものではなく、同じ「穢れ」に汚染された土地でも、数年間の間に異常な早さで住人が何度も入れ替わった家があれば、何事もなく何十年も同じ家で暮らしている住人もいる。途方もないスケールの怪異が、何事もなく過ごしている自分のすぐそば、紙一枚隔てたところで息をひそめているのかもしれない。何が出てくるかわからない、だんだんと濃くなっていく霧の中を歩かされているような、得体のしれない恐ろしさを読んでいて感じました。

 あくまで冷静に、淡々と調査の経過を綴っていくあくまでドキュメンタリータッチに徹した文体も、この作品の恐怖を効果的に感じさせてくれます。ドキュメンタリータッチの怪談としては他に中山市朗氏の「なまなりさん」が思い浮かびましたが、あれと比べるとかなり対照的ですね。

 また、「残穢」の中で登場する怪談のいくつかは、「鬼談百景」にも掲載されています。今から読む人は、まず先に「鬼談百景」を読んで、続けて「残穢」を読むのがお勧めの順番ですね。