BLACK DODO DOWN

HN:影月。「怪」のつくものを好み、特撮・ゲームを中心に、よしなしごとをそこはかとなく書き付くる。

語ろう! クウガ アギト 龍騎

語ろう!クウガ・アギト・龍騎 【永遠の平成仮面ライダーシリーズ】

語ろう!クウガ・アギト・龍騎 【永遠の平成仮面ライダーシリーズ】

 既に10年以上の歴史を刻んでいる平成ライダーシリーズの基礎を築いたクウガ、アギト、龍騎の初期三作の魅力について語り倒そう、という本。取材にあたった谷田氏が冒頭で述べている通り、学術的な見地から平成ライダーについて論じた本は宇野常寛氏の「リトル・ピープルの時代」や「ユリイカ」の平成ライダー特集号などがあったわけですが、この本のようにもっと砕けた視点で、あくまで平成ライダーのいちファンとしての視点でその魅力について熱く語ろう、というコンセプトの本は、意外となかったと思います。とはいえ、インタビューを受けた人はどの人もあまりにも熱く語るため、話題は本来のお題である三作からしょっちゅう脇道に逸れ、他の平成ライダー作品は言うに及ばずウルトラマン平成ガメラ、果てはエヴァやらガンダムやらにまで及んでしまうわけですが。

ウルトラマンは良質なお菓子、仮面ライダーは駄菓子
 切通理作氏のインタビューで出てきた、田崎竜太監督の言葉。東映がいい意味で自社のヒーローを大事にしない、ということを端的に表したした言葉で、なるほどなぁと思いました。最近でこそベリアルのような悪のウルトラマンも出てくるようになりましたけど、結局のところウルトラマンは善を体現する神様のような存在であることからは脱却しきれないわけで、もしウルトラマン同士が龍騎みたいに殺し合いを始めたらそれこそ大顰蹙を買うでしょう(龍騎も当時は相当物議を醸しましたが)。決して守りに入ることなく、毎年毎年既存のライダー像を容赦なくぶち壊しにかかってくる東映は確かにすごい。おかげで昔は毎年新しいライダーが始まるたびに「これはライダーなのか?」と戸惑っていましたが、最近はもはやどんなライダーが始まっても「これもライダーなんだ」と受け入れられるようになりました。これも駄菓子的な何でもアリ感が定着した証ですね。

◆「ライダーっぽさ」とは何か
 上で書いたように平成ライダーの初期のころは「これはライダーなのか?」と戸惑っていたわけですが、ではどういうことが「ライダーっぽさ」なのか、どんなポイントを押さえれば戦隊でもなく宇宙刑事でもなく「ライダー」を感じさせるのかと言えば、なかなか奥の深い命題ですね。これに対して高寺Pが出した答えが、かつての本郷と滝、あるいはおやっさんという「変身する男としない男のツーショット」であり、それを「クウガ」で行うために一条さんが生まれた、という経緯にはすごく納得しました。変身しない男の仲間は現在の瞬平に至るまで何人もいましたけど、滝に近い存在感をもつキャラとなると、一条さん以来現れていない気がします。

◆今後の平成ライダーに求めるもの
 ・・・とは何かを尋ねられると、切通氏はクウガにあったような「ひりひりするような気持ち」が味わえる作品、「まどか☆マギカ」の作者である虚淵玄氏は「クウガのマインドにもう一度立ち戻ってほしい」、「鈴木先生」の作者である武富健治氏は「2年に一度でいいので初期平成ライダーのようなシビアなもの、話に深みのある真剣なものをやってほしい」と回答。私も、電王のあのノリが大成功して以来、それはそれで大好きなんだけれどそこから抜け出せていないんじゃないか、という思いは感じていました。ありがちな原点回帰ではなく、虚淵氏の「クウガのマインドに立ち戻る」という姿勢で、電王に続いて平成ライダーパラダイムシフトを起こせる作品の登場は、私も願わずにはいられません。その意味では、確かに虚淵氏による脚本のライダーというのはありですね。見たいような見たくないような、でもそれぐらいがちょうどいいのでしょう。