BLACK DODO DOWN

HN:影月。「怪」のつくものを好み、特撮・ゲームを中心に、よしなしごとをそこはかとなく書き付くる。

パワーレンジャー 感想

 恐竜戦隊ジュウレンジャーアメリカに輸出され、そこで独自の進化を遂げた「パワーレンジャー」シリーズ。その第一作が、新たな劇場映画として遂に日本に逆輸入! というわけで、「パワーレンジャー」を見てまいりました。例のごとくネタバレありでいくので、未見の方はご注意を。

 新生代、大いなる力を持つジオクリスタルを守るパワーレンジャーは、仲間であるリタの裏切りにより全滅の憂き目に遭いながらもジオクリスタルを封印し、リタも海中に没した。それから時は流れ、現代。金鉱で偶然コインのような不思議な物体を手に入れたジェイソン、キンバリー、ビリー、トリニー、ザックら5人の高校生は、かつてのパワーレンジャーのリーダーだったゾードンから新たなパワーレンジャーとなり、復活したチリタから地球を守ることを求められる・・・。

 アメリカの小さな田舎町を舞台に、平凡な5人の高校生がヒーローとなり地球を守るまでの物語。平凡とは言ってもこの5人はそれぞれに家族や友人、社会との間の関係をうまく作ることができないばかりに周囲からは落ちこぼれと見られており、当初はお互いのことさえ詳しく知らなかった彼らが絆を結び、ヒーローとなっていく過程を物語の大半を費やして丹念に描いていくのは、ヒーローを「仮面をつけた戦士」よりも「仮面をつけた人間」としてその内面を描くことにこだわるアメリカらしいやり方。特にメンバーの中には自閉症だっりSNSでのトラブルで仲間といざこざを起こした者もいるのがオープンな風潮ですね。スーパー戦隊をそのままハリウッドの技術で映画化してもつまらないとは思っていたので、このアメリカならではの味付けには満足しました。それでいて、そもそもパワーレンジャーへの変身には互いが互いを思いやり、守りたいと願う心のつながりが要求されるので、訓練やコミュニケーションを通じて絆を深め合ってきたことが、終盤になって遂に「変身」そのものによって結実するという流れは、まさにゴレンジャーの主題歌で謳われた「5つの力を一つに合わせて」というスーパー戦隊の最も基本となる精神を体現していたと思います。まさしく和魂洋才ならぬ、洋魂和才。

 一方で変身してからのバトルにおいては、さらに日本とアメリカにおける違いが歴然に。まず日本のスーパー戦隊における見せ場の一つであるいわゆる等身大戦ですが、この映画においてはかなり短い(変身した時点で既に巨大モンスターが街に向かっておりもたもたしていられなかったという事情はありますが)。そもそも敵として登場するのはリタと彼女が黄金から作りだした巨大モンスター、ジュウレンジャーでいうところのゴーレム兵である戦闘員だけで怪人がいない。必然的に等身大戦は戦闘員との戦闘になり、レッド以外は固有の武器はなく戦闘スタイルも同じのため、異なる武器や戦闘スタイルでバトルにおける各メンバーの個性化を図っている日本のスーパー戦隊を見慣れた目にはどうしても物足りなく映りました。
 一方でもう一つの見せ場である巨大ロボ戦はクライマックスの大半を使ってがっつりと見せてくれます。日本のスーパー戦隊はメカを発進させてすぐに合体、巨大化した敵とちょこちょことやり取りをしたうえであまり時間を置かず必殺技でトドメ、というわりとあっさりした流れであるのは見ている人ならよくおわかりでしょうが、この映画では5台のメカ(ゾード)でとにかく粘る(まぁ合体できるという事実を知らなかったので当然ですが)。特にピンクレンジャーのゾード(ジュウレンジャーで言うところの守護獣プテラノドン)が一番活躍するというのが、「空飛べるんだから一番有利だろ?」というアメリカらしい合理的な感じがします。そしてピンチに陥ったところでいよいよ巨大ロボ(メガゾード)へと合体。日本では合体シーンが一つの見せ場なのですが、ここでも5台まとめて大きな穴に落とされたところでよくわからないプロセスで合体。合体後の姿も色味がわかりにくくなっているのでどのゾードがどのパーツになっているのかは、かろうじてプテラノドンが背中についていることがわかるぐらい。ただ、各メンバーのコクピットが機体前面に露出した状態で分散して配置されているのはキュウレンオーに似ていますね。合体してからの戦闘は武器も飛び道具も用いずガチの殴り合い。このとき、ピンクとイエローが腕担当、ブルーとブラックが足担当という二人羽織ならぬ五人羽織のような操縦法式であることが明らかに(レッドは?)。このあたりは、何となくレバーを動かすだけで操縦している日本の方が曖昧なところですね。日本だったらトドメは普通必殺剣や強力なビームですが、この映画の場合はメンバーが訓練の中で身につけたブレンバスターをそのまま敵にお見舞いするという、これまたシンプルなもの。そもそもアメリカのヒーローには必殺技という概念がないんでしょうけれど。

 総評するならば、この映画を楽しむには日本のスーパー戦隊を見るよりも、個人としてのヒーローの内面や成長を重視するマーベルやDCのヒーロー映画に慣れ親しんでおく必要があるということですね。私もスーパー戦隊だけを見ていてこの映画を見たら、きっと物足りなさばかりを感じていたことでしょう。真に楽しむためにはアメリカのヒーローと日本のスーパー戦隊、両方に慣れ親しんでおく必要があるのはハードルが高いですが、両方の魅力が詰まった映画だったと思います。