BLACK DODO DOWN

HN:影月。「怪」のつくものを好み、特撮・ゲームを中心に、よしなしごとをそこはかとなく書き付くる。

フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ

 昨日書いた通り私は怪獣も大好きです。結構な数の怪獣映画を見てきましたが、その中で特に素晴らしい作品を3本あげるとしたら、「ゴジラ('54)」、「ガメラ2 レギオン襲来」、そしてこの「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」を私は推します。

 三浦半島沖で発生した漁船沈没事故。唯一の生存者はフランケンシュタインのような怪物に襲われたと証言し、何かに噛み砕かれたようにボロボロになった乗組員の衣服も発見される。折しも1年前、京都のスチュワート研究所で人によって育てられていたフランケンシュタインが失踪していたが、スチュワート博士と助手の戸川研究員は、人によくなついていたフランケンシュタインが人を襲うはずがないと主張する。しかし、その後も不可解な漁船沈没事件が続発。ついには白昼の羽田空港フランケンシュタインが出現し、女性が喰われる事件まで発生する。自衛隊は怪獣を内陸の谷川に誘導し、「L作戦」によってフランケンシュタインを瀕死の状態にまで追い込むが、そのときもう一体のフランケンシュタインが現れ、瀕死のフランケンシュタインを助けて姿を消してしまう・・・。

 怪獣映画ファンの間でもカルト的な人気を誇るこの作品。轟天号と並ぶ東映超科学兵器お代表格・メーサー殺獣光線車のデビュー作としても記念すべきですが、なんといってもその魅力は他に類を見ない、2体の巨人型怪獣が死闘を繰り広げるという点にあるでしょう。人間に育てられた心優しい山のフランケンシュタイン、サンダ。サンダの細胞から偶然誕生した、自分以外の生き物を捕食対象としか思わない凶暴な海のフランケンシュタイン、ガイラ。作中でスチュワート博士が言っている通り、親子でも兄弟でもない、まさに分身です。

 怪獣映画に対して観客が何を求めるかは一様ではありませんが、最も求められているのは怪獣が都市を壊すという破壊そのもののもつスペクタクル、そして、それによって達成される潜在的な破壊願望のカタルシスではないかと思います。かつて第1作のゴジラが公開された際、当時政治不信に陥っていた観客はゴジラが国会議事堂を破壊するシーンで立ち上がって拍手をしたというのは、その典型的なエピソードでしょう。その後も怪獣による都市の破壊は怪獣映画の最大の見どころとなり、やがて、怪獣に壊されることが壊される建物にとっての一種のステータスにさえなっていきました。平成ゴジラシリーズなどは特にそれが顕著で、東京都庁、横浜みなとみらい、幕張新都心など、どの作品でも当時できたばかりの建物や街が次々に破壊されました。

 ここで一歩引いて見たとき、都市を破壊する怪獣は実際存在したならば非常に恐ろしい存在であるはずなのに、そんな恐怖は全く感じないことに気づきます。映画だから、と言ってしまえばそれまでですが、私はその最大の理由は、怪獣が都市を破壊することによって必ず発生しているはずの、それによって被害を受ける「人間」の不在ではないかと思います。怪獣が都市を破壊すれば、それによって直接命を落とす人はもちろん、身内や友人を失くす人、家や職場を失って途方にくれる人が必ず現れるはずです。しかし、怪獣映画でそんな人々の姿が描かれることはほとんどありません。逃げ惑う群衆の姿がほんの少し映るのがせいぜいです。怪獣によって殺され、傷つき、大切なものを失う人々の姿が怪獣映画では描かれないからこそ、我々は怪獣に対して自分たちに危害を加える存在としての恐怖を感じることなく、映画の主役として安心して見ることができるのです。

 多くの怪獣映画において、怪獣によって被害を受ける人間の姿が隠されているがゆえに、ひとたび映画の中でそんな人々の姿が描かれれば、怪獣はたちまち本来あるべき恐怖の存在としての姿を取り戻します。代表的なものは、これも第1作のゴジラ。この作品におけるゴジラはただの怪獣ではなく戦争、そして核兵器の象徴であり、映画の中ではゴジラの破壊によって人々が命を落とす様子や、野戦病院のように負傷者であふれる病院、空襲の再現のように焼け野原となった街といった描写がいくつも登場します。この描写によって、この映画でのゴジラは後のどのゴジラとも異なる恐怖を見る者に与えるのです。

 さて、長々と書いてしまいましたが、「サンダ対ガイラ」もまた、そうした「怪獣の恐怖」を感じさせる映画です。とはいっても、ここで描かれる恐怖は初代ゴジラのようなものではなく、もっと直接的なもの。その恐怖を感じさせる最大の要素は、2体の怪獣のうちガイラの「人を喰う」という行動です。映画の中で羽田空港に現れたガイラは、空港ビルの窓を突き破って手を突っ込み、中にいた女性を鷲掴みにして(口に放り込む描写こそないものの)そのまま咀嚼、器用にも服だけをペッと吐き出す、という「食人」の一連の描写が、実際に描かれているのです。人を喰うという性質が設定として存在する怪獣は他にもいるものの、実際にその光景が描かれるのは非常に珍しいことです。さらに特筆すべきなのは、この怪獣の動き。ラドンモスラなど空を飛ぶ怪獣は別として、怪獣の動きはたとえばゴジラがそうであるように、歩くにしてものっしのっしといった感じ、比較的ゆっくりとした動きで重量感を出すのが普通です。ところがサンダとガイラは、人間と全く同じスピード感で素早く走り回ったりします。おまけに身長は、サンダが30m、ガイラは25mと、怪獣としては小柄であり(初代ゴジラは50m)、それが逆に奇妙なリアリティを感じさせます。実際に映画の中では、サンダやガイラが森の木々の中に屈みこみ、捜索する自衛隊から身を隠すという、これまた他では見られない珍しい描写があります。25mといえば8階建てのビルぐらいの高さ。都会でなくてもそのぐらいのビルは珍しいものではありません。8階建てのビルと同じ大きさの巨人が、人間と全く同じスピード、同じ動きで、自分を食べようと追いかけてくる。映画の中のガイラは、そんな恐怖を肌でまざまざと感じさせてくれます。

 自衛隊から瀕死のガイラを救出したサンダ。しかし、同じ細胞を持つ者同士とはいっても両者の隔たりはあまりにも大きく、自分がいない間に再びガイラが人を襲って喰ったことを知ったサンダは激怒。相容れぬ2体の怪獣は、ついに戦い始めます。ここでも特筆すべきなのは、極めて人間に近い両者の体型。怪獣同士の対決は映画でもテレビでも珍しいものではありませんが、ともに人間に近い体系の両者の戦いは文字通りの取っ組み合いの大ゲンカ。しかもウルトラマンと宇宙人の対決とは違って、両者はあくまで怪獣、すなわちケモノです。その戦いにスタイルなどという洗練されたものは一切なく、取っ組み合い、絡み合ったまま地面を転がり、殴り、首を絞め、髪の毛を引っ掴み、噛みつくという、本能をむき出しにしたケモノ同士の殺し合いが展開させるのです。その鬼気迫る戦いは他の怪獣映画では見られないものであり、かの「キル・ビル」の撮影で、タランティーノ監督がユマ・サーマンダリル・ハンナの殺し合いのシーンの撮影のための演技指導としてこの作品のビデオを見せたというエピソードまであります。見せられた2人がどんな反応をしたかまでは知りませんが。

 とにかく、見れば少なからぬショックを受けること請け合いの映画です。特撮ファンでもそうでない方も、今までにない刺激がほしければぜひ鑑賞をお勧めします。

 最後に、怪獣による「死」の描写が印象に残る映画を列挙いたします。「怖い怪獣」を見たい方にお勧めです。

【東宝特撮Blu-rayセレクション】 ゴジラ(昭和29年度作品)

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