BLACK DODO DOWN

HN:影月。「怪」のつくものを好み、特撮・ゲームを中心に、よしなしごとをそこはかとなく書き付くる。

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 感想

 モンスターバースシリーズの始まりを告げた「GODZILLA」から早5年。「GODZILLA」と「キングコング 髑髏島の巨神」で「この世界の本来の支配者は人間ではなく怪獣である」という世界観が提示されましたが、いよいよその世界観が本格的に映像として描かれる時がやってきました。早速見てまいりましたが、ネタバレを含みますので未見の方はご注意を。

 

 「キング・オブ・モンスターズ」とは、本来は1954年の「ゴジラ」第一作の海外での公開に当たって再編集が行われたバージョンに付け加えられたタイトル。おそらくはインパクトを増すために便宜的に付け加えられたものだったのでしょうけれど、今回の作品においては文字通り、いくつもの怪獣たちの中から「怪獣の王」が現れるという、まさに文字通りの意味となっています。この世界における怪獣たちが人類の存在を全く意に介さない、人智を超えた絶対的な存在であることは「GODZILLA」で既に描かれていましたが、その怪獣たちが次々と現れ、激闘を繰り広げる様を、圧倒的な迫力と目の前で神話を見ているような荘厳さで見事に描いています。それでは、主な怪獣について触れていきましょう。

 

ゴジラ

 モンスターバース第1作に続き、今回も主役。パッと見はあまり変わっていませんが、背びれの形が柊木の葉のようにギザギザした形状に代わり、より日本のゴジラに近い姿に変化。第1作ではクライマックスにだけ披露し、その後は消耗から一時眠りについた熱線も、今回は多用しております。人間の存在を歯牙にもかけていないのはこれまで通りですが、今回はキングギドラの登場という未曽有の危機を前にしてその危機を乗り越えるカギとなり、人類は本来のこの星の支配者であった怪獣たちといかにして生きていくか、という命題においても、まさにその中心となる存在として役割を増しています。「怪獣王」の称号は長らく当たり前のものとして彼とともにありましたが、今回ほど意識的にゴジラを「怪獣王」として描いた作品はなかったでしょう。

 

モスラ

 ゴジラに次ぐ人気を誇る東宝のスター怪獣も、いよいよモンスターバースデビュー。最大の特徴である卵から幼虫、さなぎを経て成虫への変化は今回も描かれますが、今回はインファント島ではなく中国で発見された怪獣であり、小美人に相当する存在も登場しません。モンスターバースではモスラに限らず全ての怪獣が神のような存在であるためか、従来のような神性は設定上は有していませんが、繭から羽化するシーンなど、登場シーンがことごとく美しく描かれており、「怪獣の女王」と作中で評されるにふさわしい神々しさを見せてくれます。何より、日本のシリーズでは何度もゴジラと共闘してきたものの、明確に最初からゴジラの味方として描かれたのは今回が初めてです。成虫の姿は本体に比して翼が圧倒的に大きくより本物の蛾や蝶に近いものとなり、戦闘においてもおなじみの鱗粉ではなく槍のように鋭く尖った脚による刺突という攻撃を披露してくれます。

 

ラドン

 ゴジラモスラと来れば、当然ラドンも登場。登場の舞台はメキシコですが、やはり火山の中から登場し、冷えた溶岩のようにごつごつとした体表が特徴。モスラ同様これまでのラドンと比べて翼が巨大化し、見た目も動きも翼竜というよりは猛禽の要素が強く取り入れられています。空を飛ぶだけで衝撃波により下の街が壊滅するのは従来通りですが、全てがパワーアップしているモンスターバースにおいてはその被害もけた違い。飛行しながら戦闘機に追いついて足のかぎ爪で挟みつぶしたり、体をローリングさせて周囲を飛ぶ戦闘機をまとめて破壊したり、「空の大怪獣」の名に相応しい大空での暴れぶりを見せてくれます。特にキングギドラとの空中戦は操演では実現不可能なので必見。最終決戦での行動で見た人からいろいろ言われていますが、まぁラドンってもともとこういう感じの扱いなところがあるし・・・。

 

キングギドラ

 三大怪獣とともについに登場した東宝怪獣映画最大最強のスーパーヴィラン。今回も圧倒的な力をもってゴジラの前に立ちはだかりますが、今回はその名に「キング」を冠することが、単なる宿敵以上の存在意義をキングギドラに与えています。今回登場する怪獣たちの中では最も日本版に近い姿をしていますが、脚は鳥や恐竜のような逆関節になり、西洋のドラゴンの要素を色濃く取り入れています。個人的にはキングギドラはデザイン上の構成要素が非常に多く、頭の形、首の長さと太さ、胴体と翼の大きさ、尻尾の長さ、その全ての比率が少しでも狂えば途端に違和感を覚えてしまうのですが、今回のギドラはその点においては初代と同じかそれ以上に完璧なパーツの比率をしており、パーフェクトと言えるでしょう。強さにおいても言うまでもなく、光線や飛びあがってからの押しつぶしは言うに及ばず、ゴジラに対して積極的に格闘戦を挑み、三つの首を腕にように使って殴りかかるのはまさにCGの強み。これまで見てきたキングギドラの中で最高のキングギドラといっても過言ではありません。宇宙怪獣という設定まで守られるとは予想外でしたが、その設定までも「宇宙規模での外来種」として、地球の調和を保つ役割を持つゴジラとの因縁づけに利用するのはすごいですね。

 

◆セリザワ博士

 怪獣ではないんですが、この人について語らずにはいられませんね。「GODZILLA」では単にゴジラがどのような存在なのかを登場人物や我々観客への説明する解説役としての域を出ていませんでしたが、今回は彼が「セリザワ博士」である意味がはっきりと描かれます。1954年の「ゴジラ」の芹沢博士と、このようなかたちで対比させてくるか・・・と、今回の映画を見ていて一番感銘を受けたのが彼の描き方でした。

 

 怪獣とは、そしてゴジラとは、知れば知るほど奥の深い存在です。言うなればそれは何らかの概念が怪獣という着ぐるみを着て動いているようなもので、作り手がその中身に何を入れるかによって、同じゴジラという名の怪獣でも、全く違った存在へとなり得ます。今回のゴジラに関していえば、その中身に入っているのは「怪獣は強い」「怪獣はかっこいい」という子供が抱くような感情かもしれません。現に今回の映画の中で怪獣によってアリよりも簡単に人が死んでいくのですが、不思議と怪獣に対してシン・ゴジラを観た時のような「怖い」とか「恐ろしい」という感情は沸いてきません。気が付けば子供の頃のように、怪獣の一挙一動に心を躍らせている。キングギドラに戦いを挑むゴジラを応援している。そういう映画を作るには、作り手の方に怪獣に対する並大抵ではない愛がなければ不可能な話です。ローランド・エメリッヒギャレス・エドワーズを経て、マイケル・ドハティの手によってついにハリウッドはゴジラ映画を、いや、怪獣映画を完全にモノとした。そういう確信を抱きました。では、ゴジラを産んだこの国の映画界はどう出るべきか。「GODZILLA」に対して「シン・ゴジラ」を送り出したのと同じように、必ずや新たなゴジラ映画を送り出してくれると信じています。