BLACK DODO DOWN

HN:影月。「怪」のつくものを好み、特撮・ゲームを中心に、よしなしごとをそこはかとなく書き付くる。

GODZILLA 星を喰う者 感想

 ついに迎えたアニゴジ3部作の最終作、「星を喰う者」。早速見てまいりましたのでレビューをします。例によってネタバレを含みますので、未見の方はご注意を。

 前作では行き過ぎた合理主義の結果、目的のためには手段を選ばぬどころか人間をやめることすらいとわない本性を露わにするビルサルドが描かれましたが、当然今回はもう一つの異星人種族・エクシフの本性が明らかに。ビルサルド同様エクシフも一つの方向性に思考を先鋭化させすぎた種族でしたが、エクシフの場合、要約すれば「どうせみんな死ぬんだから、美しく死のうや」という、さらにとんでもないものでした。生きることになんの価値も見出していないという点においてはビルサルドより遥かに迷惑であり、本質的には終末主義の過激なカルト集団と何ら変わりはないでしょう。カルト集団と違うのは、極度に発達した数学によって別宇宙に存在する「神」の存在を証明し、あまつさえコンタクトをとることができたところ。「宇宙は有限であり、永遠というものは存在しないことに気づいてしまった」とメトフィエスは言っていましたが、そんなことはあそこまで科学を発達させずともとっくにホーキング博士が明らかにしているので、それだけであそこまでニヒリズムをこじらせた思想に走ったのは、やはり彼ら独自の精神性なのでしょうね。

 そして、そんな彼らの崇める「神」こそが、劇中では「ギドラ」とだけ呼ばれるキングギドラ。その正体は、別の宇宙に存在し、そこから特異点を経由して長く伸びる黄金の龍のような首を伸ばして自分がいる宇宙とは異なる宇宙の存在を捕食する「高次元怪獣」。別の宇宙の存在であるがゆえに、攻撃を受ける側の宇宙の物理法則は全く適用されず、触ることはおろか機械的な手段ではその存在を証明するデータすら収集できず、ただ生物の目と耳でしか存在を感知できないという、巨大要塞として登場したメカゴジラに負けず劣らず、こちらもこれまでのキングギドラとは全く異なる規格外の存在として登場しました。怪獣というよりはクトゥルフ神話の旧支配者を彷彿とさせる存在であり、エクシフの言う通り、確かに神と言って差し支えないでしょう。このギドラに自らを供物として捧げ、さらなる高次元の存在に生まれ変わるというのがエクシフの宗教の真の教義だったわけですが、これを理想的な死と考えられるのは終末思想に取り憑かれた者ならともかく、やはりまともな地球人には理解しがたいですね。前述した特性から、ゴジラはその体に触れることすらできないのにギドラの方はゴジラに噛みついてエネルギーを吸い取るという、チートとしか言いようのないやり方でメカゴジラですら倒せなかったゴジラを窮地に追い込みました。ただ、実際本当にその能力にはチートに頼っているところがあり、それが破られるとあっさりゴジラに敗北するという、X星人や未来人に操られていた頃とある意味変わらないあっけない敗北を喫することに。まぁ、黄金の龍の首はイカの触腕みたいなものでしょうから、ギドラ本体は別の宇宙で生きているんでしょうけれど。ギドラ当人がエクシフに命令していたかはわかりませんが、エクシフの協力を得て別宇宙の餌を喰っていたというのは、なんだか餌を与えられている家畜のようで、間違いなく強いんだけど情けないという印象を受けました。神とは人から畏れ敬われると同時に、人から利用される存在であるということなのでしょう。

 さて、そんなギドラの降臨を経てハルオたちが選びとった物語の結末については、落としどころとしてはこう持っていくしかないだろうなと納得はできました。結果として、「文明を発展させることを是とするホモ・サピエンス」という狭い意味での地球人は絶滅することになりましたが、文明を捨て、ゴジラを憎むことを捨てて受け入れるようにならなければ、人間はどうしたって怪獣を生み出すことになるという考え方は虚淵さんらしいですね。ハルオについては人としてゴジラを憎むという当初からの信念を最後まで貫き通したことは評価しますし、自分たちに代わり「地球人」として生きていくフツアの民の未来のために最後にとった行動も理解はできますが、それでもなお、選択の余地がない状況が多くメトフィエスに誘導されていたところもあったとはいえ「自分勝手を繰り返した結果地球人を絶滅させた男」という事実は変わらず、結局最初から最後まで好きにはなれませんでした。少なくともユウコにとっては最低な男であることに違いはありませんね。あれでは浮かばれませんよ、全く。メトフィエスの企図した通り彼は地球人最後の英雄となったわけですが、怪獣を生み出し、怪獣に地球を追われてなお、最後まで争いをやめず過ちを繰り返し続けた自分勝手でどうしようもない地球人の最後の英雄がやはり自分勝手でどうしようもない人間だったのは、ある意味では当然の帰結だったのかもしれませんが。

 私はあのエメリッヒ版ゴジラも、ゴジラとしてではなくモンスターパニック映画として見ればそこそこ面白いと思っていますが、怪獣映画としてのポイントを(間違いなく意図的に)外しまくったこのアニゴジ三部作も、ゴジラ映画としてではなくSF映画として見れば間違いなく面白いと言えると思います。ゴジラ映画としては初めてゴジラが人類に完全勝利した作品であり、実際そういうゴジラ映画を観てみたかったのですが、やはりゴジラと人類は永遠に戦い続ける関係性の方がよいと改めて思いました。良く言えば怪獣映画の常識にとらわれない視点でゴジラを描いた作品ですが、とりあえず、他のゴジラ作品を見て自分なりのゴジラ観を固めてから見ることをおすすめします。