BLACK DODO DOWN

HN:影月。「怪」のつくものを好み、特撮・ゲームを中心に、よしなしごとをそこはかとなく書き付くる。

「興味を持つ」ことは可能か。

 私は何事に関しても好き嫌いのハッキリしている人間であり、好きなものに対してはとことんのめりこみ、そうでないものに関してはとことん無関心です。しかし、時に世の中というものは私に限らずすべての人間に対して、それまで興味を持たなかったものに対して興味を持つように求めてくることがあります。そんなときに私が思うのは、興味というものは持とうと思って持てるものなのか、ということです。

 たとえば私は電車にまったく興味がありませんが、電車好きの人から「電車に興味を持て」と言われても困ります。逆に私が特撮にまったく興味がない人に対して「特撮に興味を持て」と言ったらその人は困るでしょうし、私もそんなことは言いたくありません。

 もちろん人から勧められたり世の中で評判になっていたものを好きになった、という経験はありますが、それはもともと私の中にそれを好きになる「種」のようなものがあって、それが人から勧められたり世の中で評判になっているのを知ったりしたことがきっかけで芽を出したというだけで、興味を持とうと思って持った、というのとは違うと思います。興味というものは自然に持つものであって、持とうと思って持とうとするということは、種の埋まっていない畑に水をやって芽を出させようとしているのと同じようなものではないか。もしかすると偶然種が埋まっていて目を出すこともあるかもしれないけれど、そこまでして興味を持つ意味はあるのか。ここ数年、興味というものに関してそんな疑問を常に感じ続けています。