BLACK DODO DOWN

HN:影月。「怪」のつくものを好み、特撮・ゲームを中心に、よしなしごとをそこはかとなく書き付くる。

漂流老人ホームレス社会

漂流老人ホームレス社会

漂流老人ホームレス社会

 英語で「家」を表す言葉は何か?

 こう問われたとき、考えられる答えは2つ。そう、「house」と「home」です。では、この2つはどう違うのか? 久しぶりに英和辞典を引いてみると、おおよそ次のように書かれていました。

house:家屋、住宅
home:家庭、我が家
(「カレッジライトハウス英和辞典」)

 つまり、「house」は人間が住む建物そのものを、「home」は人間が生活する「場」、それも、「安心して暮らせる」という暖かい雰囲気をまとった「場」のことを指すと言ってよいでしょう。なぜこんなことをわざわざ調べたかと言えば、この本の冒頭のこの言葉に、ハッとさせられたからです。

ホームレスとは、単に家(ハウス)がない状態をいうのではない。
安心して生きていく場所(ホーム)がない状態をいう。

 なるほど。確かに路上生活者のことを「ハウスレス」とは呼びません。ホームレスという呼び名には、彼らが住居としての家のみならず、安心して生きていく場所をも失っているという意味が込められている。上記の言葉に、いまさらながら気づかされました。この本は、そんなホームレスの状態に陥っている人たちを支援する活動を行っている精神科医の著者による、自らの実体験を交えたホームレス支援の実態と「生きやすい社会」への提言です。

 ある一定の数の人の集まり。それを人は「集団」と呼び、「集団」は様々な人間によって構成される。学校のクラスや会社の一部署といったごく限られた人数の集団でさえ、全く同じ人間は一人として存在しません。ホームレスと呼ばれる人たちもそれは同じ。不況のあおりで職を失った人。派遣切りにあった人。認知症の人。アルコール依存の人。知的障がいや統合失調症を患っている人。抱えている問題は人それぞれであり、それぞれに対し相応しいやり方で接し、ふさわしいかたちで支援を行わなければならない。著者が説くホームレス支援の在り方は、当たり前と言えば当たり前のもの。ところが現在の社会は、そうした人たちを路上生活者という一つの枠で囲い込み、それぞれが異なる人間であることを無視して十把一絡げに扱い、臭いものに蓋でもするように施設や病院に押し込め、目に見えないところに追いやっている。

 効率が重視される社会では、彼らのみならずあらゆる人間が無理やり何かの枠にあてがわれ、同じ種類の人間として扱われる。一人ひとり全く違う人間をそのように扱うことで出てくる当然のひずみが、ホームレスもにならず社会のいたるところで目立つようになってきている。この本を読んで、改めてそう思いました。人と人とが理解し合って助け合うには、多くのものが必要です。時間、お金、手間、忍耐、寛容さ。効率を重視してそれらを惜しむ限り、これらの問題がなくなることは決してないでしょう。

 「安心して暮らせる場所」がホームならば、たとえ住む家があったとしても、私たちは本当にホームを持っていると言い切れるのでしょうか。誰もがホームレスになるかもしれない。もしかすると、家はあっても既にホームレスなのかもしれない。

 ある有名なアニメの登場人物はこう言いました。

帰る家、ホームがあるという事実は幸せにつながる。よいことだよ。

 すべての人が、自分のホームを持てる世の中を。