BLACK DODO DOWN

HN:影月。「怪」のつくものを好み、特撮・ゲームを中心に、よしなしごとをそこはかとなく書き付くる。

GODZILLA 決戦機動増殖都市 感想

 アニゴジ3部作の2作目となる「決戦機動増殖都市」。早速見てまいりましたのでレビューをします。例によってネタバレを含みますので、未見の方はご注意を。

 地球へと帰還し、多くの犠牲を払いながらもゴジラを撃破することに成功した主人公・ハルオたち。だが彼らが倒したのは本来のゴジラから派生して誕生した亜種に過ぎず、その直後、2万年の間成長を続け想像を絶する巨躯へと変貌した本来のゴジラゴジラ・アースが出現。ゴジラ・アースの尻尾のひと薙ぎで吹き飛ばされ意識を失ったハルオが目覚めたのは、地球に残った人類の末裔と思われる種族、フツアの民の集落だった。彼らが矢じりに使っていた金属が、かつて対ゴジラの切り札として開発されながらも起動することなくゴジラに破壊された最終兵器・メカゴジラに使われていたナノメタルであることに気づいたビルサルドたちは、2万年の間に自ら進化と増殖を繰り返してきたナノメタルを用いてゴジラに対する決戦を挑もうとするが・・・。

 前作と小説「怪獣黙示録」の時点で、起動することなくゴジラに破壊されたことが明らかになっていたメカゴジラ。今回その存在が物語のキーとなることは予告の時点で明らかになっていましたが、実際に映画の中で姿を現した「メカゴジラ」は、あまりにも想像とはかけ離れたもので驚かされました。これについて詳細に述べること自体が深刻なネタバレとなってしまうので詳しくは述べませんが、歴代のメカゴジラについてよくよく考えてみると、その本質は「ゴジラを模した機械」ではなく「ゴジラを殺すためだけに作られた機械」であることの方にあり、その意味においては今回の「メカゴジラ」は最もその本質に近いメカゴジラだと言うこともできるかもしれません。メカゴジラについてここまで大胆な解釈を展開することができたことについては驚きを禁じえませんが、一方で単純に「ゴジラメカゴジラの対決」を期待していた人にとっては、やや味気ないものだったかもしれませんね。

 たまたま今回見た回が新宿での舞台挨拶の中継のあった回であり、その席でハルオ役の宮野真守さんが今回の見どころとして、前作までは一枚岩となっていた人類、エクシフ、ビルサルドという3つの種族が最も大切なものとするものの違いが明らかになっていく、ということを挙げていましたが、それはまさに今回の最大の見どころですね。特に今回はメカゴジラが話の中心となるだけに、それを開発したビルサルドについては、どんどんその本質が明らかになっていきます。合理性を追及した結果、一切の迷いを捨ててただ目的達成のための手段へと自らを同化させていき、自らが倒そうとするものと同質の存在へと変貌しようとする彼らを見て、ニーチェのかの有名な一節、「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。お前が長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくお前を見返すのだ」を思い出さずにはいられませんでした。一方、「迷い」があることこそ知性の証であり、迷いなきビルサルドを知性と呼べるのかと疑問を投げかけるメトフィエスらエクシフもまた、ビルサルドと同じようにどこかに人類とは決定的に異なる価値観の相違を抱えているように思えてなりません。そしてゴジラもまた、この2万年を経た地球上にあっては、「地球上のほぼ全ての生物がゴジラ一匹に何らかのかたちで奉仕している」という地球の生命史上前代未聞な生態的地位にあり、それはある意味人類以上に生物としてあってはいけない存在なのではないかと思えてなりません。ゴジラも含めて登場するほとんどの種族が何らかの歪みを抱えているようにも思えてきましたが、果たしてそれは次作でどのような結末をもたらすのでしょうか。無限の生命の輪廻を象徴するあの神聖なる巨蛾、そして破壊の権化たるあの黄金の三つ首竜がどのような登場を果たすのかとともに、期待しながら秋を待ちます。