BLACK DODO DOWN

HN:影月。「怪」のつくものを好み、特撮・ゲームを中心に、よしなしごとをそこはかとなく書き付くる。

今週の仮面ライダージオウ 第1回感想

 クウガから始まった平成ライダーの歴史。それを締めくくる作品、ジオウがついにスタートしました。ディケイドの始まったときもそうでしたが、クウガの第1回から平成ライダーを見続けてきた人間としては、感慨深いものがありますね。

 さて、第1話ですが、冒頭はディケイドっぽかったですが全体的に電王っぽさが漂うものでしたね。主人公が突然キーアイテムを手に入れて、突然未来からマシンがやってきて、それに乗っていたちょっとキツそうな見た目の少女からとんでもない話を聞かされて、突然変身して敵と戦うことになる。要素だけ抜き出すと本当に電王ですね。戦兎と龍我、ビルドを怪人にしたようなアナザービルドも登場しましたが、思っていたよりも目新しい感じはないかな・・・という印象でした。

 むしろおやと思ったのは、「王様になりたい」という夢を抱く主人公ソウゴですね。歴代ライダーを見回してみてもかなり突拍子もないことを考えてますが、その理由は「世界を全部よくしたい、みんな幸せでいてほしい」という願いを実現するために彼なりに考えた末の結論のようです。そもそも平成ライダーの場合、普通の生活を送っていて突然巻き込まれるようなかたちで偶然ライダーになって戦い始める主人公が多いので、こういう最初から「世のため人のため」というようなことを考えてる主人公はかなり珍しい。オーズの映司やフォーゼの弦太朗が近いかもしれませんが、彼らが望んだのは「どこへでも届く手」や「天高の生徒全員と友達になる」という、いわば助けたい人に寄り添うことでした。それに対してソウゴが考える「王様になって世界を良くしたい」というのは、直接人を救うのではなく、苦しむ人や不幸な人がいなくなるように世界を作り変えたい、ということなのではないでしょうか。そこまで大それたことをしようと考えるなら「王様にでもなるしかない」となるのも無理はない話ではありますが、それにしても「王様」とは。「王様」とは、国民によって選ばれ、方針は示せても国民の将来の決定権そのものは国民にある首相や大統領とは違います。民の意思とは無関係にその座につき、民の意思などお構いなしに彼らを動かし、その行く末を決められる絶対的な権力者、それを「王様」と呼ぶのです。もっと現代的な言葉に言いかえれば、「支配者」「独裁者」となるでしょう。善政を敷き民に慕われる名君にもなれば、民に恐れられる悪魔のような暴君にもなる。そういう危うさをもった存在が「王様」であり、その「王様」になることを目指す少年が主人公というのは、50年後に魔王になるという未来からの来訪者からの話を抜きにしても、なんとも不穏な気持ちになります。この第一話を見て、歴代ライダーの登場と同じくらい、この異質な主人公がどういう道をたどることになるのか、そちらにも俄然興味がわいてきました。