BLACK DODO DOWN

HN:影月。「怪」のつくものを好み、特撮・ゲームを中心に、よしなしごとをそこはかとなく書き付くる。

仮面ライダー 平成ジェネレーションズ FOREVER

 平成最後の劇場版仮面ライダー、「仮面ライダー 平成ジェネレーションズ FOREVER」、早速見てまいりました。いつもよりネタバレ要素は最低限でいくつもりですが、未見の方はご注意ください。

 冒頭、なぜかジオウである記憶を失っていたソウゴの前に、アナザー電王が現れる。一方、戦兎と龍我は、アナザーWに追われる少年シンゴと、それを追うスーパータイムジャッカー・ティードと出会う。全平成仮面ライダーの歴史の消滅を目論むティードの陰謀によって、ソウゴと戦兎の仲間たちが次々に記憶を失って別人のようになっていく中、ソウゴの出会った仮面ライダー好きの青年・アタルは「仮面ライダーは現実の存在ではない」と告白する・・・。

 今回の作品の主な舞台となるのは、この現実の世界と同じように、仮面ライダーがTV番組として放送されている世界。そこへTVの世界から仮面ライダーたちがやって来る・・・という点だけでいえば、「ウルトラマンティガウルトラマンダイナ&ウルトラマンガイア 超時空の大決戦」とよく似ていますが、「ヒーローは虚構の存在である」という、一見改めて言うまでもないことが強調される点が、「超時空の大決戦」とは大きく異なります。虚構の存在である自分たちは無意味なのか? ソウゴは大きく動揺しますが、ここでビルド本編で「作られたヒーロー」という言葉に何度も傷つけられながらも、それでもヒーローとしての自分を最後まで貫いた戦兎が、あの戦いを経て完全に揺るがぬ自分を手に入れたヒーローとして、ソウゴを奮い立たせる展開がまず「うまいなぁ」と思いました。そしてもう一人、TV放送当時からこの映画と本質的に同じテーマを掲げてきた仮面ライダーが、とんでもないサプライズを引っ提げて大活躍。初日の最初の上映で見られてよかった・・・。

 仮面ライダーは現実には存在しない。だが、彼らの物語を見てきた我々にとっては、そんなことは問題ではない。彼らの物語は仮面ライダーを愛する私たちの心を揺さぶり、人によって差はあれども何がしかの影響をそれぞれの人生に与えてきたのだから、まぎれもなく彼らは現実の人間と同じように、「確かにそこにいた」存在である。日曜の朝に仮面ライダーを見ることがいつしか当たり前の日常となっていた自分にとって、作り手の方から改めてそれをメッセージとして発信されたのは、とても鮮烈な体験でした。決戦が終わり、並び立つ平成ライダーたちの姿。それはディケイド以降見慣れた光景のはずなのに、今回の映画に関しては不思議と「ここに立つ20人の仮面ライダー一人一人にそれぞれの物語があった」という重みが感じられました。私の場合、まだ大学生だった頃、何気なく本屋で立ち読みした雑誌でクウガが放送開始されることを知ったのが全ての始まりでしたが、仮面ライダーを見てきた人の数だけ、「私と仮面ライダーの物語」は存在するのだなと、改めて思いました。そんな一人一人に対しての、「仮面ライダーを愛してくれたあなたへ」が詰まった、平成ライダーからの最後のプレゼント。こちらこそ、ありがとうという気持ちでいっぱいです。