BLACK DODO DOWN

HN:影月。「怪」のつくものを好み、特撮・ゲームを中心に、よしなしごとをそこはかとなく書き付くる。

小説 仮面ライダーブレイド

小説 仮面ライダーブレイド (講談社キャラクター文庫)

小説 仮面ライダーブレイド (講談社キャラクター文庫)

 平成仮面ライダーシリーズで、最高の「最終回」はどのライダーの最終回か?

 クウガ以来、毎年毎年新しい「変化」を盛り込み、常に我々に驚きを与えてきた平成仮面ライダーシリーズ。1年間という普通のTVドラマではありえない長い時間をかけて紡がれてきた一つの物語の終着点、すなわち、「最終回」においてもそれは同様であり、最終回がどのような結末を迎えるにおいても、平成ライダーシリーズは常に挑戦的であり続けてきました。それは、そもそもの始まりであるクウガの最終回が、敵の親玉との戦いは既にその一話前で決着を迎えており、最終回はいきなりその3ヶ月後、主役である雄介は変身することはおろか、ほとんど登場すらしないという型破りなものであったことからも明らかでしょう。龍騎の最終回も、その一話前で主人公である真司が命を落とし、蓮をはじめとする他のライダーたちのそれぞれの結末と繰り返されてきたライダーバトルの終わりが描かれるというものでした。ヒーロー番組の世界におけるライダーと並ぶもう一つの雄であるスーパー戦隊シリーズの最終回が、基本的には敵を全滅させて終わる(敵と和解するマジレンジャーのような例外もありますが)のに対し、「敵との戦いの決着」というポイントだけで見ても、敵の親玉が人間の強さを認めて手を引く(アギト)、敵と人類が共存の道を歩み始める(カブト、キバ)、敵との決着そのものがなく敵はこれからも現れ続ける(響鬼。そもそも魔化魍は天災のようなものなので完全な決着などつけようがない)など様々で、クウガのように敵が全滅して終わる方がむしろ珍しいと言えるでしょう。

 さて、ようやくブレイドの話になりますが、、個人的にはこのブレイドの最終回こそが、今のところ平成ライダーシリーズの中で最高の最終回であったと考えております。ブレイドという作品は全体として見ればちぐはぐで、とても手放しに賞賛できるような作品ではないのですが、それだけに終盤の展開は鮮烈な印象を残し、世界と友、その両方を守るために主人公である剣崎一真がとった行動は、ヒーローという存在がおつ側面の一つ「自己犠牲」の究極のかたちとして、美しさと悲しさを視聴者である我々の心に刻みつけました。あの最終回を見た人間は、間違いなくこう思うでしょう。それからの剣崎は、どう生きていったのだろう、と。

 そういうことなので、今回の小説が「剣崎のその後」を描いたものであったことには、全く驚きはありませんでした。ただ、その「その後」がTV本編から300年後、地球温暖化が進んで海面が上昇し、陸地のほとんどが沈んだ世界というのは、いささか突飛に感じましたが。

 この作品における剣崎を見て「やはりこうなってしまったか」と感じるか「剣崎は決してこうはならない」と感じるかは、読む人の中の剣崎像によって大きく異なってくるでしょう。私としては哀しいことではありましたが、彼はもともと人間であったのだから、迷い、悩み、苦しむことは当然であり、むしろそれこそが彼が今なお人間であり、そしてヒーローであることの証なのではないかと受け止めました。

 同時にこの物語は、剣崎たち仮面ライダーとアンデッドが戦うバトルファイトを仕組んだ張本人である「統率者」との決着を描いた物語でもあります。TVシリーズはバトルファイトを「回避」する物語だったので、これはなかなか秀逸でした。ただ、「統率者」がバトルファイトに決着をつけるために人々の運命を操り、あまつさあえその操られる人々を見て嘲笑う、というところはどうも釈然としませんでした。「統率者」は善や悪といった価値観や感情とは無縁の、バトルファイトという地球の支配者を決定するための儀式をただ機械的に遂行するだけのシステムだと思っていたので。また、バトルの描写においてラウズカードを駆使する描写がないのが残念。基本的に脚本家は脚本上でバトルを詳細に書くことはないというのを聞いたことがありますが、レンゲルの武器を「ダガー」と書いてしまっているのにはさすがに閉口しました。

 美しく終わった物語をそのままにしておきたい方にはお勧めしませんが、ブレイドを見ていた人には一読の意味はあると思います。