BLACK DODO DOWN

HN:影月。「怪」のつくものを好み、特撮・ゲームを中心に、よしなしごとをそこはかとなく書き付くる。

仮面ライダーゼロワン 第5話感想

 漫画家とヒューマギアのお話。創造性を要求される仕事にまでヒューマギアが進出しているというのは、第1話の腹筋崩壊太郎の時点で既に明らかになってはいましたが、漫画家の仕事までヒューマギアのものになっているとなると、もはや人間にしかできない仕事など残されているのかと問いたくなりますね。或人は漫画家に情熱を求めていましたけど、この場合問われるべきはむしろプライドの方でしょう。自分の作品を他人に売り渡してその金で食う飯はうまいか?、と。ジョジョ露伴先生が見たら、きっと完膚なきまでに言葉でボッコボコにされていたことでしょう。

 

 今回の話はヒューマギアよりも、仕事と情熱の関係性について考えさせられますね。或人の気持ちもわかりますけど、あの漫画家さんにしてみれば、仕事道具の納入元の業者に過ぎない人から自分の働き方についてあれこれ言われる筋合いはないというのも当然です。情熱というものの厄介なところは、それを計る方法や評価する基準が明確でないのに、人の評価に取り入れたがる人が多いということです。おかげで、本人はやる気があるのに周囲からはそう見られなかったり、逆に単に要領が悪くて残業が多い人が「あいつはいつも遅くまで頑張っている」と見られてこの国の残業がいつまで経ってもなくならない一因になったりするのです。私などは法と職業倫理を守りながら要求される成果を出しつつ、無理をしない範囲で頑張っていれば、情熱があろうがなかろうがそれで問題ないと思うのですけれど、それはあくまでホワイトカラーやブルーカラーの労働者の話。漫画家や作家、画家や音楽家といった芸術性に関わる仕事は、単に商業的な成果だけでなく芸術的な成果も出さなければならない、というより、芸術的な成果が商業的な成果に組み込まれていますからね。トイレットペーパーのような大量生産の消耗品はどこで誰が作ったか気にとめられることもありませんが、本や絵や漫画や音楽は作者本人が芸術的熱意を込めて作ったことが商品価値のうちに入っており、たとえオリジナルと全く同じクオリティで描かれたものであっても贋作の絵はオリジナルと同じ価値で評価されることはない。商業出版物として売り出しているマンガの価値が作者の情熱込みのものであるならば、あの漫画家さんは実質的に詐欺を働いていたも同然であり、その意味では或人の行動は、マンガに本来の価値を取り戻させた商業的アドバイスとも言えるでしょうね。