BLACK DODO DOWN

HN:影月。「怪」のつくものを好み、特撮・ゲームを中心に、よしなしごとをそこはかとなく書き付くる。

仮面ライダーセイバー 第46章 感想

 賢神たちと相討ちになるように、次々と倒れてゆく剣士たち。そんな彼らに背中を押されるように、塔の最上階で一人待つストリウスの前にたどり着く飛羽真。そんな彼に、かつて自らが創作したと思っていた作品が、全て全知全能の書に記されていたことを知り絶望した過去を語るストリウス。飛羽真のような現代の作家なら、ミステリー小説のトリックに代表されるように創作上の基本的アイディアは先人によって大方出し尽くされてしまっており、よって完全に過去誰も作ったことのないオリジナルの作品を作ることは事実上ほぼ不可能である、という暗黙の事実を受け入れたうえで創作を行っているのですが、2000年前の詩人であるストリウスにはそれもできなかったわけですね。まぁそれだけなら仕方がないのですが、ストリウスが決定的に間違っているのは飛羽真も間接的に指摘した通り、ストリウスは自分の作品が自分の生み出したものであることばかりに拘泥し、創作者にとって最も大事な存在であるはずの読者のことが完全に視点から欠落していることなんですよね。いずれにせよ、いかに彼が絶望したにせよ、その感情はあくまで彼個人のものであり、個人の感情を他人に強制することは創作者として恥ずべきこと。なんかもう、創作者としての格という点においては既に決着がついてしまったように思えますが、いよいよ次回、最終回です。