BLACK DODO DOWN

HN:影月。「怪」のつくものを好み、特撮・ゲームを中心に、よしなしごとをそこはかとなく書き付くる。

仮面ライダーゼロワン 第1話感想

 ついに始まった令和という新たな時代の仮面ライダーの歴史、その先駆けとなる仮面ライダーゼロワンの物語。脚本が高橋悠也さんだけあって、エグゼイド同様に最初から登場人物のキャラづけや世界観の設定がガッチリしてます。高度な人工知能を搭載したロボットが労働力として一般化し人間社会に溶け込んでいる世界、というのはそれこそこの分野の開祖ともいうべきアイザック・アシモフの頃から手垢にまみれているぐらい描かれてきたものですが、その世界を表現するために真っ先に出してきたのがお笑い芸人ヒューマギア・腹筋崩壊太郎というのが驚きです。演じるなかやまきんに君のキャラもあって一見イロモノに頼ったやり方にも見えますが、現実の人工知能に関する議論では、今後人工知能が発展していけば、人間の仕事はルーティーン的なものから人工知能に取って代わられていき、最終的にはゼロから物を作ったり思いついたりすることが要求されるクリエイティブな仕事だけが人間に残されるのではないか、という説が語られています。この説から考えればこのゼロワンの作品世界においては、そういったクリエイティブな仕事のれっきとした一例であるお笑い芸人の仕事まで人工知能が行うようになっている段階に達している、という事実を示すのが腹筋崩壊太郎の存在であり、いかにこの世界が人工知能に関して発展していると同時に危ういものであるかを示していると言えるでしょう。いや、第一回からこれはすごい。

 

 そんな世界観が示されたうえで、主人公である飛電或人の登場、ヒューマギアを開発した飛電コーポレーション、ヒューマギアを暴走させ人類の滅亡を目論む滅亡迅雷.net(こいつらのネーミングだけはどうにかならないのかと思いましたが)と、登場人物や組織を小気味よく登場させていく流れのよさは、もはや驚くには値しませんね。それにしても、与えられた使命ではなく人を笑わせる芸人の仕事に誇りと喜びを抱く自我を獲得していた腹筋崩壊太郎が、殺人マシーンであるベローサマギアに作り変えられてしまうのはなかなかショッキングでした。ライダーに限らず基本的に怪人というのは最初から悪の存在として登場し、だからこそヒーローに倒されるのを後腐れなく見られるのですが、人間と変わらぬ自我を獲得しなお人間の友であろうとした善良な存在が怪人に作り変えられ、仮面ライダーと戦わされるというのがゼロワンの基本的な流れだとするなら、これは話によってはとんでもないトラウマになりそうなものが出てきそうで今から恐ろしいです。たとえば冒頭で保母さんとして働いているヒューマギアがちょっと映りましたが、もしあれが怪人化したら、ゼロワンは彼女を慕う園児たちの目の前で彼女を破壊しなければならなくなるのではないか…などと考えると、胃がキリキリしてきます。

 

 そんなわけでこの先の展開に関しては早くも戦々恐々ですが、ゼロワンのアクションに関しては全く文句なしですね。アーマーを必要最低限に抑え、動きやすさとシルエットの見栄えを徹底的に追及したデザインなのは発表されたときから明白でしたが、実際に動いた時のかっこよさと美しさは想像のさらに上を行ってくれました。アクションだけでなく、変身と同時に或人の脳とヒューマギアを制御する通信衛星をリンクさせ、或人の思考速度をヒューマギアと同じ状態に高める、という設定も素晴らしい。周知のとおり仮面ライダー1号・本郷猛はショッカーに肉体を改造された後脳を改造される前に脱出したわけですが、「強化された肉体を強化されていない脳で制御できるのか?」という疑問は昔から抱いていて、事実本郷は水道の蛇口を捻ろうとして蛇口をねじ切ってしまうというように、肉体の制御に苦労している描写がありました。ゼロワンの通信衛星との接続による思考速度の強化は、まさにこの強化された身体能力への脳の対応策として実に現代らしくアレンジされた方法を提示していて、まさにこの令和の時代にアップデートされた改造人間としての仮面ライダーという感じがしました。

 

 さすがに仮面ライダークウガの第一話を見た時ほどの衝撃はありませんでしたが、それでも令和最初の仮面ライダーの第一話としてのインパクトは、十分すぎるほどありました。元からそのつもりではありましたが、平成に続き令和もまた仮面ライダーの物語を追い続けていく、その決意を新たにできるよいスタートでした。